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2005.05.18

人の悩みは2500年間、不変?-メディアに思う

5月17日(火) 「メディア」 19:00~ 於・シアターコクーン

作/エウリピデス 翻訳/山形治江
演出/蜷川幸雄
キャスト/大竹しのぶ(メディア)、生瀬勝久(イアソン)、吉田鋼太郎(クレオン) ほか

いやはや、とても美しい舞台装置であった。ほぼ全ての演技は、水の張ってある蓮池(くるぶしくらいまでの深さと思われる)の中で行われる。池には緑色の大きな蓮の葉とピンクの花がたくさん。そして、後ろの「く」の字形の階段を上り、扉を開けて館の中へ、という構造である。
この、扉-階段-広場という構造は、昨年の「オイディプス王」を思い起こさせる。そして「オイディプス王」では男性のコロスであったのに対し、「メディア」は赤い衣裳を着て赤ん坊を背負った女性のコロス・・・など、様々な部分で、否応なく両者の対比に思いを致すことになる。(小道具類も含めて、荒涼・無機的イメージのオイディプスと、豊饒な母性イメージのメディアといった具合)

私の中では、あくまでも「神話」の話だった「オイディプス王」と違い、「メディア」が示すものは、夫婦間の愛情であり嫉妬であり、それがゆえに子殺しにまで至る母親の「愛情」である。あるいは、2500年たっても本質は変わってないのか、と思えるような社会の中の「女」の問題でもある。

火のように激しくかつ賢い女であり、子どもへの愛情溢れる優しい母でもあるメディアに相応しいのは、確かに大竹しのぶのほかにはいないかもしれない。早口でも聞き取りやすい台詞だけど、私にはちょっと早すぎる感が。そして意外にも生瀬勝久の優しく甘い(けれど冷たい?)声が、大竹しのぶの硬質な声と表裏一体をなしているふうで、妙に「ほっ」とする部分もあった。ただし、最後に「空飛ぶ竜車」にメディアが死んだ子どもたちと一緒に乗って出てくる場面では、2段階くらい力不足ではなかったかなぁ。
今回、終盤に舞台の後方を開けて渋谷の雑踏を見せた意図が、その場ではしっくりこなかった(後からはいろいろ考えるけれど)。

館への扉に通じる階段で、メディアは嘆いたり苦しんだり放心したりするのだけれど、子どもを殺すことを決心したあと、まっすぐ階段を上っていく姿が、その決意のかたさを現してあまりあるものだった。心の中を、全身で表現するとはこういうことか、と思ったのだった。

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