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2006.10.29

朗読劇と思いきや

10月29日(日) 「ベケットを読む」 14:00~ 於・シアタートラム

作品Ⅰ「ある夜-老いた大地よ」(『また終わるために』より) 演出/太田省吾 出演/観世榮夫、鈴木理江子 作品Ⅱ『オハイオ即興劇』『カタストロフィ』 演出・美術/豊島重之 出演/豊島重之+モレキュラーシアター ポストトーク(観世榮夫、鈴木理江子、太田省吾、宇野邦一

 「ベケットの秋 in 世田谷」の第2弾・・・とはいえ、先に上演された「エンド・ゲーム」は見てないし、そもそもベケットって「ゴドーを待ちながら」さえも見たことない。なのになんで出かけたかといえば、「ベケットを読む」というタイトル通り、朗読劇だと思っていたから。チラシ等には、リーディング+ミニレクチャー・ポストトークとある。26日~29日の4回公演のうち、前2回は作品Ⅰとミニレクチャー、後2回は作品ⅠⅡとポストトークという不思議な構成。

 結論からいえば、「えっ、朗読劇じゃなかったの? 朗読劇の定義って何?」と疑問がぐるぐる頭の中を回っていた。普通に「読む」(発音する)ことすら拒否するところから始まるようで。・・・作品Ⅰの老女は、単語を変にぶつ切りにしながら語るし、作品Ⅱは超早口で戯曲をト書きまで読み、後からそれを音声処理(回転数を変える、みたいな)。要するに、言葉自体から何かを伝える、というのではない。

 これは私が間違っていたというより、リーディングと銘打たねばならなかった事情があったのだ、と、ポストトークで太田さんがおっしゃった。ベケットという人はとても著作権にうるさい人で、(死後も)散文の上演はできなくて、リーディングならぎりぎりOKだったからだそう。そういうすべてが明らかになってみれば、プログラムに書かれた公演コーディネーター宇野氏の文章中、「読む」の2文字に傍点がついているのもわかる。

 作品Ⅰ、Ⅱともに「新しい読み」の試みだとは思うけれど、正直言って、見ながら難解な文学評論を読んでいる気分にさせられた。それもこれも、「リーディング」だと思って行ってたから、という部分が大きい。そう思ったのは私一人ではないはず。そのあたり、もう少しなんとかならなかったものか。

 ま、ポストトークで観世さんの柔軟な考え方、姿勢に接することができたのはよかった。まもなく御年80になる氏が、新しいことに挑戦し、さらに稽古しながらもいろいろ発見があったという。演出意図なども、おお、そうだったのか!という感じで、ポストトークを聞かないでいたら、もっとワケわかんないままだった。

 見ている間は元気だったけど(私の隣はずっと寝てて寝息が気になった)、帰宅してからちょっと頭が痛くなった。これって私のキャパ不足のせいだな、やっぱ。

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