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2007.06.28

悪意と暴力の70分一本勝負

6月27日(水) 「THE BEE 日本バージョン」 16:00~ 於・シアタートラム

原作/筒井康隆 共同脚本/野田秀樹&コリン・ティーバン 演出/野田秀樹 出演/野田秀樹(井戸)、秋山菜津子(小古呂〈おごろ〉の妻、リポーター)、近藤良平(安直〈あんちょく〉、小古呂、小古呂の息子、リポーター)、浅野和之(百百山〉〈どどやま〉警部、シェフ、リポーター)

 野田秀樹がロンドンで公演して好評だったという「THE BEE」を、日本で、しかも日本バージョン、ロンドンバージョンとして上演するとあれば、一も二もなく行ってしまう。が、内容なんて全く考えてなかったので、「えっ、暴力!?」などと、ちょっと不安な気持ちになる。うっかりして、同じ日のチケットを2枚入手してしまい、友人の息子(大学生)に譲った。彼は、初・野田秀樹を、どのように見たのだろうか。

 開演までの間、会場には70年代の女性アイドルの歌が流れていた。いつも何かしら音楽が気にはなるんだけど、これに関しては、意図があるの? 

 さてさて、「善良な」サラリーマンの井戸氏が帰宅してみると、自宅は凶悪な脱獄犯に押し入られ妻と子が人質に。警察やレポーターの対応は、あり得ないけど本質だったりして・・・。その後、彼は逆に犯人宅に行って、その妻子を人質に立てこもる。ついてきた警官の頭をかちわり、ピストルを入手して。

 ここまでは、たった4人の出演者が、いろんな役をめまぐるしく演じ分けたり、台詞の応酬があったりするのだけれど、事態が膠着状態になってから(井戸と脱獄犯・小古呂が互いに家族の解放を求めて暴力合戦となる)、台詞はなくて淡々と同じ動きが繰り返される。同じ動きとは、要するに「暴力の応酬」なわけだけれど。これを見せつけられるのが、意外なほどに「うわぁ」と迫ってくる感じ。終わりのない暴力。大義とかはすでに失せて暴力それ自体が目的となっている。ロンドンで受け入れられるはずだ、と思ったのだった。

 舞台は天井から巨大な紙がつり下げられている(破ったりいろいろに使う)以外、セットらしいものはほとんどなし。小道具もほとんどない。最小限の物と役者の身体のみ。で、「人質」である小古呂の息子の指を折ったり切ったりが、「変だけどリアル」。ぞわぞわ。

 野田秀樹本人は、「この芝居を見ても感動できません。(略)感動させてなるものか。涙など流させてなるものかという心意気で作っています。だから、感動はできませんが、後にはかなり尾を引きます」とのこと。確かにね・・・。「たまには、涙を流してさっぱりしないで、そんな悪夢も見てください」。だから好きだよ。

 以前、「赤鬼」(シアターコクーン)で、日本バージョンしか見なかったことを後悔したので、今回はロンドンも見ます。というか、オリジナルなそっちこそ見たかった、かも。日本のと性が変わるので(野田が小古呂の妻、女性であるキャサリン・ハンターが井戸)、それも楽しみである。

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コメント

私は来週観ます~
って、今朝方「チケット引き取れ」というメールを受け取ったところで(^^ゞ、取りに行ってこなくちゃな。

投稿: 猫並 | 2007.06.30 01:28

猫並さま
お互い、三軒茶屋に通う6、7月、ですね!
ああ、三軒茶屋にも、か(笑)。
今回も席が前すぎ。中央後方にはなかなか行けないよぉ。

投稿: きびだんご | 2007.06.30 09:37

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