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2007.07.22

シェイクスピアと歌舞伎

 ま、再演「NINAGAWA 十二夜」あれこれ、というわけで。この2年の間に、小田島雄志訳「十二夜」を読み、また小田島氏の語るシェイクスピア(あるいは「十二夜」)に触れる機会も持ったので、思いつくことをつらつらと・・・。

 小田島氏が、繰り返し語られるのは、「シェイクスピアは、理屈で考えずに、こういうもんだと思って楽しんで見ればいい」、という実にシンプルなことである。「あれっ、平仄が合ってないじゃないか」と、考えたりしないで(たとえば「ロミオとジュリエット」が何日間の物語か、など)、目の前で起こっていることに集中して楽しめばいい(楽しんだモン勝ち、と私は受け止めてますが)。という点では、歌舞伎もまたそうじゃないの? 理屈が先に立つと、歌舞伎なんか見てらんないでしょう(笑)。自分に都合のいいことだけ吸収しちゃう私には、とてもありがたいお話である。何やかやとテキスト上で考えるのは、専門家にお任せしますわ。

 そういうのって、たとえば大篠左大臣が獅子丸のことを、「まるで歌舞伎の若衆」云々と言うときに、「もしもし、あなたさまの時代には歌舞伎はまだ成立してませんでしょう」などと思わないで、ドッと受ければいい(実際、受けてますが)という、当たり前のことだな。あっ、このくだりは、小田島訳では「どこをとっても 女役を演じる少年俳優といったところだ」(白水uブックス、25ページ)となっていて、いわゆる「楽屋オチ」の台詞なんだそう。てっきり歌舞伎オリジナルの部分だと思っていたから驚いた。

 もともとの駄洒落オンパレードの台詞を含めて、シェイクスピアらしさを歌舞伎に生かした脚本に、改めて注目したい。人名の置き換えもおかしいよねー。(以下は下らぬ名前ネタです。)

 筋書にはちゃんと、今回の役名と「原作の役名」が対照できるような一覧表が入っている。それを見ているだけでウフフと思える。織笛(おりぶえ)姫←オリヴイアなどは、言われなくても想像できるね。海斗鳰兵衛(あまと におべえ)←アントーニオ、幡太(ばんた)←ヴァレンタイン、比叡庵五郎(ひえい あんごろう)←フェービアン、久利男(くりお)←キューリオ、など脇役の名前がけっこう好きな私。初演時にはなんとなく耳になじまない気がしたんだけど、そうでもなくなっちゃった!

 サー・トービー・ベルチが洞院鐘道(とういん かねみち)なのは、ワンクッションあって、おおっ(笑)、という感じかな。全然関係ないときに、何かの史料(平安時代の日記かもしれない)で、この「洞院」という名字を見つけたときには、どうしても左團次さんの顔が浮かんでしまって困ったことがあった。

 そして、「鳰」ですよ、鳰! 今やこれがちゃんと「にお」と読めるもん(大笑)。初演と再演の間に、谷崎潤一郎「台所太平記」を読んでいたら、「鳰子」という人が出てきて、これまたおかしかったのでした。日本国語大辞典(旧版)で「鳰」を引いたら、まあびっくりするくらい出てきた。「かいつぶり」の古名だって。「鳰の海」は琵琶湖の別称だし。読んでるとまた楽しめる。

 話がだんだんそれてますが、舞台を見に行かない日でもこんなふうに遊んでいる、7月「十二夜まつり」な私です。

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