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2008.02.05

住大夫さんのお話を1時間半

2月5日(火) 「住大夫 芸を語る」 18:30~ 於・朝日カルチャーセンター新宿

 今は毎週、西新宿の朝日カルチャーに行っているので、ついつい「1回限りのお話」講座のお知らせもチェックしてしまう。行った時に申し込めるから簡単なんだもの。というわけで、今日は文楽公演を間近に控えた竹本住大夫さんのお話を聞いてきた。朝日賞受賞のお祝いで、スタッフからお花のプレゼントもあり。聞き手は現在は文化庁にお勤め(以前は、国立劇場で文楽の配役などをなさっていたとか)のアベ氏。*来月は芝雀さんの話を聞いた後「葛の葉」を見る、という企画あり。

 今日はお話なので洋服姿。やわらかい関西弁でいろいろ楽しいお話が聞けて(喋り上手なのだ)、あっという間の1時間半であった。

 一応、印象に残ったことどもを、アットランダムに。

・今の若手に対しては、はがゆい思いというか、もっともっとというお気持ちがありあり。「下手が上手ぶるな。水くさい(=情のない)浄瑠璃を語るな」「上手い浄瑠璃よりも、心にひびく浄瑠璃を。それは結局、鍛錬のすえに身体からにじみでるものであり、どの仕事でもそうだけれど、最後は人間性である」。よくても悪くても拍手をもらえる、という現状はダメ。

・「話をしているような浄瑠璃を語りたい」それは、昔見た杉村春子、乙羽信子ほかの芝居で感じた“芝居をせずに芝居をしている”あり方。おそらく、巧んでいると思わせず自然でありながら心を打つ、というような意味と思われる。

・薬師寺の高田管長との出会いは大きかった。実は薬師様と浄瑠璃には、切っても切れない縁もある。

・戦後、文楽が2派に別れていた14年間はつらかった。精神的にも経済的にも。しかし、人が足りない=いろんな役ができた、という意味では、芸の上からはラッキーでもあった。

・いま三味線弾きが少なすぎる。19人なんだけれども、26人くらいはほしい。大夫も少ない(お眼鏡にかなう人が、ということかも)。人形遣いは多すぎ。その三味線が少ないということもあって、「コンビ」いわゆる相三味線というのが今はない。これは要するに不動のコンビということのようで、昔は、三三九度の盃を交わしたほどの存在だったとか。

・「くさい芸」と「いやらしい芸」は違う。以前、熊谷陣屋とか盛綱陣屋の後の「しょうもない」段を語る(しかもそれが追い出しで)ことばかりやらされていたことがあった。つまらないし、お客からも同情を買うほど。そんなのばかり語っていると、「くさい芸」になるんだけれど、それで一人前というか、そこからスコーンと上に行く。*ここでの「いやらしい芸」というのが、きっと「どうだ、うまいだろ」というような小手先のものなのかな、と。

・近松は嫌い(でもそれで賞ももらっているが)。おさん治兵衛のおさんみたいなのはイヤだ。毛谷村のお園みたいのが可愛くていい。大夫が、語っている人物になりきってはいけない(自分が泣いては人を泣かせられない)。人物になりきる一歩手前くらいでいなくては、他の人も演じられない。何人もの演じ分けは、声ではできない。「息」で変えている。「音(オン)=言葉では説明できないが」が大事。*近松が嫌い、とは公言されていることではあるけれども、額面通りではないと思われる。近松特有の難しさ、つまり淡々として美しい文章に、感情を込めすぎては味わいがなくなる。その味わいをどのように出すか、というチャレンジ精神のように聞こえた。

・とにかく今までやってきた原動力は、ただ「好き」ということ。不器用、悪声だからこそ、今がある。

・昔は文楽は「聞きに行く」ものであったが、今は「見に行く」ものになった。これは浄瑠璃語りとしては、つらいこと。国立劇場に字幕が導入されたときはショックだったし、床本をバサバサめくられるのも困りもの。いっそのこと(能楽堂みたいに)各座席の背にモニターをつけてほしい。

 ホスト役のアベ氏からは、三浦しをん「仏果を得ず」も紹介された。やっぱり銀大夫のモデルは住大夫さん?ってことで。

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