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2012.03.17

能楽堂で講演を聞き、能を見る

3月16日(金) 「国立能楽堂企画公演 復興と文化」 18:00~ 於・国立能楽堂

講演「語りきれないこと 災害からの復興と文化の力」 鷲田清一

能・観世流「 梓之出」シテ・観世清和 ツレ・坂口貴信 ワキ・森常好 ワキツレ・森常太郎 アイ・山本泰太郎//笛・藤田六郎兵衛、小鼓・大倉源次郎、大鼓・亀井広忠、太鼓・観世元伯ほか

 鷲田清一(わしだ きよかず)氏は、哲学者。著書も多い(読んでないよ~)。今回の企画公演は「復興と文化」というタイトルがついているけれど、誰かが司会するとか、挨拶(?)があるとかってのは全くなく、時間が来たら講演が始まり、休憩、お能と、たんたんと進んでいった。

 舞台の上に、椅子(と譜面台のようなもの)が置いてあり、切戸から鷲田氏登場。あの空間って、たとえ講演に慣れている人でもすごくやりにくいよね・・・。こういう所でしゃべるのも、足袋を履いて上がるのも初めてです、と。

 まずは、この日の未明に亡くなられた吉本隆明のことから語り始めた。とても大きな存在で、何かを考えるとき常に意識していた、と。
 また、哲学・思想家であるなら、何かを問われたときに「それについては考えていなかった」などと答えることはありえない・・・などなど、そういう「自己紹介」と私は受け止めた。

 東日本大震災の起こった3月11日は、同時多発テロの(2001年)9月11日と同じ「11日」なので、それをよく言われる。しかし、阪神・淡路大震災を経験した者にとっては、「46分」という共通の数字がまず「嗚呼」と思うことなのだ。・・・ということから、阪神・淡路との比較(日中だったために、親を亡くした子が多いことなど)、あるいは当時の経験が今回、支援する上で生きたこと、などの事例をあげながら話された。

 よく言われることだけれど、「がんばってください」って迂闊には口に出せない。いや、「おつらいでしょう」「わかります」なども、被災して途方に暮れている人には「何言ってるんだ、なにがわかるんだ」ということになる(口には出さないとしても)。
--そうなんだよね、言うべき言葉が見つからない。何かをすることが「自己満足」でしかないのでは、と臆病にもなる。

 でも、最後は「思ってるだけでもいい」という言葉が。いつも思っていれば、そこから何かの行動もできるかもしれない。

 40分の予定時間を5分ほどオーバーして終わった。あらあらという感じで、ちょっとぎくしゃくまた切戸から退場されるのが、なんだかほほえましい。震災後の活動などに関する報告とは別に、それらの土台となる「考え」の部分を、ちょっと振り返ってみようよ、という感じだったのかなぁ。

 「砧」はなんとなく知ってはいたけど、見るのは初めて。110分もあるんだ・・・なんだかねー、発散しようがないといいますか、要するにと覚醒を繰り返しつつ。うーん、上級編かしら(違う?) いつかちゃんと見たいものです。

 あ、千駄ヶ谷駅から能楽堂に行く途中にある(あった)「五万石」(富山料理)が閉店していた。結局、一度も行かず。

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