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2012.04.25

「忘れてはダメ、忘れたふりはなおよくない」

4月25日(水) 「闇に咲く花」 18:30~ 於・紀伊國屋サザンシアター

(井上ひさし生誕77フェスティバル 第三弾)
作/井上ひさし 演出/栗山民也 出演/辻萬長(牛木公麿)、石母田史朗(息子・健太郎)、浅野雅博(稲垣善治)、増子倭文江(遠藤繁子)、山本道子(田中藤子)、小林隆(鈴木巡査)ほか

 この「闇に咲く花」は、3月7・8日の浜松からスタートして、8月3・4日の広島まで、長い長い公演が組まれている。先日見た「王女メディア」と同じく、各地の演劇鑑賞会、市民劇場の主催である。
 その公演スケジュールを見ていたら、やたら岡山県内が多いので驚いた。5カ所で13日間。これは偶然なのか何なのか、ちょっと知りたい。

 というのも、私が大学時代に初めて井上ひさし作品(「しみじみ日本・乃木大将」)を見たのも、やっぱりこういう地方公演で、だったから。地方にいると、たった1日か2日の公演がとても貴重で待ち遠しいんだよね・・・。

 それはともかく、第三弾は、まんま「戦争」の話。メインには「C級戦犯」のこと。時は昭和22年の夏。
 A級戦犯、BC級戦犯って、罪の重さを表わしているわけじゃないんだよね。今や、戦争犯罪人として死刑になったのは、A級戦犯の戦争指導者だけみたいに思われがちだけど。・・・と、知識としては知っていても(なんたって東京裁判ネタは未だに雑誌などにも出てくる)、やっぱりそれは「文字で見る知識」に過ぎないんだよね。

 C級戦犯とは何か、どうなったか、現実の出来事として受け止める。と同時に、そんな事実を全く忘れ去ってしまっていることも。
 「忘れてはダメだ。忘れたふりをするのはもっとよくない」(大意)。繰り返される言葉は、だんだん忘れ去られていくことへの作者のいらだちのようにも思える。

 舞台は神田猿楽町の愛敬稲荷(あいきょういなり)神社。ここへは、空襲に遭って亡くなった人たちが運ばれ焼かれた。それは神域がケガレたということで(と、健太郎は思う)、そのあたり、ちょうど今読んでる三島由紀夫「奔馬」(豊饒の海2)と重なる部分がある・・・など、本筋じゃないところで、反応してしまう私。あ、本筋、なのかもしれない。戦争と神道の問題を考えることは。
 だいたいさぁ、ちゃらんぽらんで闇米の買い出しを考えたりするような神主の名前が、なんでお公家みたいなの?

 井上作品は、時に説明っぽいとか感じたりしてきたけど、今回、ある程度説明してでも、しつこく繰り返してでも、言わなくてはならない、という部分を強く感じたのだった。

 役者さんとかギター演奏について書く余裕がなくなっちゃった。派手さはないけど、だからこそ深く入ってくるようなお芝居でした。女優さんはみんな声が素敵。

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演劇」カテゴリの記事

コメント

私は、現代劇として作られるってこういうことなのかなって、初めて実感したというか、なんというか。この物語の終わり方が、その時代を実際に生きた人が、同時代の観客に向けて作るならこういうのが正しくリアルなのだろうかと、それがとても印象に残りました。
たとえば後の世代の、私なんぞが筋立てすれば、健太郎は「せっかく帰って来られたのに」な感じが強くてそこに悲劇性とか不条理を描きそうですが、そもそも戦争とか、その後の闇市とか、その時代の背景そのものが不条理なんだからなーと。
ギリギリ知ってる時代とかすれすれ理解できる時代と、遠い昔とで、いわゆる時代劇に対するスタンスってえらく変わるなと改めて実感しました。
もう一回見たいんですが、東京での公演数が少ないせいか、地味なキャスト構成だと思うのに意外と売れちゃっててびっくり。戻りそうもないのでガックリ。

投稿: 猫並 | 2012.04.26 09:28

猫並さま
ああ、ほんとですね。健太郎が正気を取り戻して、最後の場では、もう時がすぎて、彼のことは他者によって語られるのみ。そこでは怒りや嘆きは通り過ぎたあと。
時代背景そのものが不条理・・・私も、どんな立場の人であっても、傷つかなかった人(庶民)はいないんだ、ということは強く感じました。そこから立ち上がったんだものね。と思うと、そしてしかし今、とも。

井上作品をひとつひとつ見るたびに、戯曲読もうかなと思いながら、まだ果たせないでいます。

投稿: きびだんご | 2012.04.26 11:03

おはようございます。
自分の感想を書いてからこちらにお邪魔しようと思っていました。
私はこの作品2度目で、初めて見た時はとてもつらかったのですが、今回は少し落ち着いた気持ちで見ることができました。
どんな立場の人であっても傷つかなかった庶民はいないんだ――まったくおっしゃる通りですね。そこから立ち上がる原動力はオバチャンたちだった(女は家族を食べさせていかなくてはなりませんもの)と、私は当時のオバチャンたちを偉いなあと思っています。でも公磨さんもタフな(というか柔軟なというか)精神力の持ち主ですよね。
私の見た日は平日でしたので観客は全体にやはり高齢の方が多かったようですが、中に何人か若い方を見つけると嬉しく思いました。

投稿: SwingingFujisan | 2012.05.06 09:30

SwingingFujisanさま
こんばんは。やっとお返事が書けます。
私はずーっと井上ひさしを見てなくて、復活して見始めたのは、最近の「説明っぽくて」ちょっとなー、と思ってしまうような、戦争にかかわる物語でした。そんな思い(先入観)があったものだから、今回、「どうあっても伝えたい」、という思いを強く感じたのかもしれません。
オバチャンたちがたくましく生きていく姿や、公麿の柔軟さ(!)の中に、悲しみも怒りも希望も込められているような気がしました。

投稿: きびだんご | 2012.05.09 00:13

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