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2014.01.22

言葉で全ては表現できるのか

1月22日(水) 「Tribes トライブス」 14:00~ 於・新国立劇場 小劇場

作/ニーナ・レイン 翻訳・台本/木内宏昌 演出/熊林弘高 出演/田中圭(ビリー)、中泉英雄(ダニエル)、大谷亮介(クリストファー=父)、中嶋朋子(シルビア)、中村美貴(ルース)、鷲尾真知子(ベス=母)

 美しい舞台だった。美術も、音楽も、照明も、シンプルな衣裳も。勝手な方向にぶつかり合う言葉たち、音のない世界、いたいたしい心も含めて・・・。

 ある一家(なんだかクリエイティブ、と自覚しているらしい)の5人と、末っ子で聴覚障害を持つビリーの恋人・シルビア、登場人物はこの6人。家族の勝手な言い合いから始まる(いや、それは暗転があってからで、それ以前の始まり方は準備の延長のようなところから、なんだけど)。

 評論家の父は、押さえつけるタイプ、なんだよね。母も別に黙って従うタイプではない。彼女は小説を書こうとしてる。そして学者志望で論文を書いてる(←父にけなされる)兄、オペラ歌手になりたい姉。二人ともまだまだ一人前じゃなくて「パラサイト」。出て行かないことを父は批判してるけど、ほんとはどうなんでしょ。
 彼らの末っ子ビリーは、生まれつき耳が聞こえない。だけど、特別扱いすることなく(=聴覚障害者のコミュニティからは遠ざけて)、「普通に」育ててきた。だから、話者の唇を読んで、会話をすることができる。いつも聞いてるだけ、の存在で、なおかつ「みんなから保護される」存在だった。

 が、シルビアという恋人ができる。彼女は、両親が聴覚障害者で、兄と自分は、最初は聞こえていたが徐々に聴覚を失ってしまうという、途中失聴者。ビリーと違って、手話が普通のコミュニケーション手段の中で育ってきた。
 彼女と出会ったことで、手話を学び、世界がどんどん広がるビリー。いつまでも庇護されるだけの存在ではなく、唇が読める特技を生かして、防犯カメラの映像から会話を復元する仕事も得る。

 ビリーが外へ向かっていくのと反対に、兄ダニエルは、ビリーを失ったことで不安定になっていく。マリファナたばこがやめられず、幻聴に悩まされ、昔の吃音まで出てしまう・・・。

 と、ストーリーらしきものを書き始めると、なんだか重~い雰囲気。しかも翻訳物とくれば、私の苦手な部類か、と思いきや、そんなことはない。内容は重いかもしれないけど、舞台そのものは重くはない。いろんな「美しさ」があるから、かな。ビリーとシルビアは、かなり激しく手話で会話するんだけど、そのやりとりも、口に出す言葉そのもののよう。

 あらゆることが自分とは違うのに、この家族、夫婦に、共感できる部分があるのかもしれない。だって、子どもにとっての「最善」を求めて、あらゆる努力をしてきたんだよ。「聞こえない」息子のために、何が一番いいのかを必死で考えて。それが結果的に、彼をスポイルすることになってたなんて。
 そして、長男のダニエルも、とてもデリケートな子。ビリーに優しい気持ちの陰には、あの強権的な父親という壁から逃げる気持ちもあったんだろう。だから、ビリーが彼らの保護下から出て行くと、不安定になってしまう。

 舞台だから、もちろん言葉で進んでいくわけだけれど、途中、美しい音楽が流れると、それが聞こえない世界のことを考える。聞こえなさも一様ではなくて、シルビアのように、途中から聞こえなくなる苦しみは、またビリーとは違う・・・。

 とまぁ、とりとめなく、様々に思ってしまうのですよ。

 冒頭、食卓での喧嘩のあと、ダニエルが怒って本を踏んでて、あぁぁと思ったら、次の場面で、彼は足の裏にトゲが刺さってた。本を踏んじゃいけません

 初台からの帰り、笹塚で快速に乗り換えたら、明大前でたまたま手話で会話する高校生男子3人と乗り合わせた。すごい巡り合わせ。

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コメント

 私も一日違いで『トライブス』観ました。
 本を踏んで足に棘が刺さる場面は確かに「ざまみろ」でした。が、と同時に「本を床に積んでおくんじゃなーい」と思いながら、「わが寝室の書棚から溢れて床に積んである本の件はどうするんだ」と、自分にツッコミを入れてました。読み終えた本は処分するか、どうしても保存しておきたい本は棚に。で、未読の本は床に追いやられるのですが、それがこんなに溜まっているのかと思うと・・・う~ん。

投稿: ケイジ | 2014.01.24 08:08

ケイジさま
1日違いでビックリしました!
これ、上演こそ新国立ですが、世田谷パブリックシアターの制作なんですね。友の会割引があってビックリしました(と言っても、カンフェティで購入したんですが)。
どうしても、本を踏む場面は、わぁぁ、となりますよね。そしてつい床に積んでしまうの、わかります。我が家でも一念発起して片付けて「通路」ができてたのに、いつのまにやら元の木阿弥になってます。

投稿: きびだんご | 2014.01.24 22:38

美術も素敵でしたよね、これ。
それに、ビリーはしゃべりだすまで耳が不自由だとはわからず(子音の発音が甘いのであれ?と思うのが最初)、ダニエルにいたっては、次の幕になって初めて「え?吃音?」とビックリしたくらい。大きな変化があって初めて表れるもので、そういう扱い方にも「そうなんだよねー」って深々うなづいちゃう感じがありました。そうすると、ルースも「あれ、なんかへん?」に見える気がするし、へんじゃないけどお父さんはおかしい!って思えてくるし、自分の中で障害というものがどんどん位置づけが曖昧になって宙に浮いてくるような感じになりました。
なぜトラムじゃなかったのか…単にスケジュールの問題かもしれませんが、新国立の小劇場にピッタリ。

投稿: 猫並 | 2014.01.24 23:17

猫並さま
タイトルだけ見ると、なんなの?と素通りしてしまいそうですが、ほんと見逃さずによかったです。私の場合、大谷さんが出てなかったらきっと見てないので、大谷さんが募りそうです。
障害に関して、表面的な描き方ではないから、いろいろ考えることが多くなるんですよね。戯曲自体がとてもよく練られてると思うし、その世界を美術などもよく表現してるな、と。
こういう舞台に出会うから、ほんと劇場通いはやめられないです。

投稿: きびだんご | 2014.01.25 12:09

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