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2015.10.10

「月の獣」の余韻の中で

10月9日(金) 「月の獣」 18:30〜 於・俳優座劇場

作/リチャード・カリノスキー 翻訳/浦辺千鶴 演出/栗山民也 出演/石橋徹郎、占部房子、金子由之、佐藤宏次朗

こういう出会いがあるから、観劇はやめられない、と思う。
「月の獣」は1915年にトルコで始まった「アルメニア人虐殺」で家族を殺されて、アメリカで夫婦になった若い2人の物語。1921年のアメリカ・ミルウォーキーのアラム(石橋)の部屋に、はるばるセタ(占部)がやってきたところから。この時、2人は19歳と15歳だった。彼女は「写真の花嫁」だけれど、実は写真が間違ってたというドタバタ。アラムが見た写真の子は、セタと同じ施設でもう亡くなってしまっていた。
彼の部屋の壁には、両親と3人の子のポートレート。が、父親のところに彼の顔が貼ってあるだけで、あとの4人には首がない(くりぬかれている)。そして彼女は、母が作ってくれたお人形のぬいぐるみを手放さない。そんな始まり。この二つはその後、ずーっと目に触れる場所にあるのだけれど、最後にとても重要な存在となり我々の前に示される。

最初の、写真の件が示していた「すれ違い」は、同じアルメニア人でありながら街の明るい家庭で育ったセタと、田舎の厳格な家庭で育ったアランの違いを予告していたかのよう。そして、事あるごとに聖書を読み上げ、子供を熱望するアラン。彼には切実であり、彼女には痛ましくさえ思えるそのことが、時に滑稽ささえともなうよう。「月の獣」というタイトルはそういうことなのかと思うくらい(虐殺の始まる前年の「月蝕」にまつわる言葉と、のちに示されるが。でもそれだけではないはず)。
そして、決して語られることのなかったアラムの過去が語られるとき、彼が大事にしていた父親のコートの意味、そして子供を求める気持ちも、腑に落ちる。さらに、あの不気味な家族写真の意味も。

彼女はアメリカの暮らしに馴染んでいくものの、10年たっても子供には恵まれない。9歳の頃に餓死寸前になったことが影響してか、不妊症だった。夫には感謝の気持ちはあるけれども、きっと絶望もある。そんな中で、イタリア系アメリカ人の孤児(佐藤。実は孤児ではなく母親は施設にいるという)と知り合い、面倒をみるように。この撹乱分子の存在が彼の家庭に波風を立てて、2人がそれぞれに「爆発」することになる。
最初からこのお芝居で「語り手」として登場していた老人が、第2幕でこの少年の「その後」の姿と明かされる。だから夫婦のことを語れたのだと。

今、100年前の出来事を見て、シリア難民のことを思い浮かべるのは必然。結果的にヨーロッパに押し寄せる難民の姿だけを見てしまうけれど、それ以前に、生まれ育った国で生きていけない現実を思う。

登場人物は4人だけ。じっくり聞かせる台詞も素晴らしいし、音楽や照明も静かだけれどしかし雄弁。休憩15分込みで2時間半が、ほんとにあっという間だった。いいお芝居でした。

これ、カンフェティでボーナスポイント3000つきで買ったので、そのポイントで「マンザナ、わが町」を買いましたです!

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