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2016.07.06

北イタリア:労働と祈りと

7月5日(火) 「木靴の樹」 於・下高井戸シネマ

監督・脚本/エルマンノ・オルミ
1978年/イタリア/187分

すごく有名だけれど、未見だった映画の一つ。1978年のカンヌ映画祭パルムドール……だから見ようとかじゃなくて、へえ、そうだったの、とまぁ、映画には疎い私です。今年、再公開らしくておかげで見ることができた。

19世紀末の北イタリアの農村。広い敷地のテラスハウス(だっけ? 2階建ての各戸が繋がってるの)に住む4つの家族。最初に、この土地も道具も家畜も何もかもが地主の物であり、収穫の3分の2は地主の物であると説明される。みんな貧しい農民の家族である。

・ミネクは頭がよくて、彼の父は神父から学校にやるようにと言われる。そんなこと農家ではありえない。だけれども「主に選ばれた子」だから、どんなに生活が厳しくても受け入れる。毎日6キロの道を歩いて通うことになる。おぼろに木靴とはこのミネクのもの、というのはわかってたので、彼(及び一家)が主人公かと思いきや、そういうわけではなかった。

ほかの3家族=
・15を頭に赤ん坊まで6人の子を持つ未亡人は、洗濯女として働いている。女の子2人も、手押車を使って洗濯物を集めてくる。この家のおじいさんは、毎晩、子供達に民話の類を聞かせてくれる。
・ずる賢くて、トウモロコシの重量をごまかしたりする父親と、ちょっとうすのろな長男。この家族は、道化っぽい役どころかも。占い師の「虫下し」がすごい。
・紡績工場に勤める娘と、彼女に恋する青年が、微笑ましく愛を育んでいき、そして結婚する。周りはからかうでもなく、見守っている。
互いに独立してなんとか日々を生きているけれど、夜になると全員が集って、いろんな話に興じる。また、共同作業も重要。農作業だけじゃなくて立派に育ったブタを皆で屠畜するシーンも(「ある精肉店のはなし」を思い出した)。これだって、地主の管理人の差配による。彼らはおこぼれにあずかれるんだろうか。
また、祭りで騒ぐのも、ほんとハレの日なんだな〜、と。

会話よりも、畑の作業や、川での洗濯、トウモロコシの収穫などなど、働く場面が続く。そして子供達が小さいながらに、働き(手伝うというレベルじゃなくて)、食べ、祈り……。賑やかな時もあるけれど、おおむね静かにじっくり描かれていく。
ほんとに、働くことと神に祈ることが密接に存在してる。もちろん教会のミサにも行くけれど、そういうことじゃなくて、働く食べる祈るは一連のもの。我々も昔はそうだったのかもしれない、と思わずにはいられない。その「神」とは、むしろ土着的なものの方がしっくりくる(これは信仰を持たない人間だから、かなぁ)。

誰も字が読めないのだと思う。幼いミネクが学校で使っているノートを見て、父親が妻に「これはeだろうか」というシーンがある。字は知らなくても、働くための知恵があり、手を動かしている。そして夜な夜な集まっては、百物語のようなのを語ったりして豊かな時間を過ごしている。さらに貧しくて物乞いのような人が現れても、静かに受け入れ分け与えたりする。

4家族のみならず、子供の存在は大きい。折々、教会の存在も見えるのだけれど(未亡人のところの子を施設に引き取ってもらえると神父が言ったり、養育費つきの子供の里親になることが貧しい夫婦の救いとなる、とか)、なんにもせよ、子供は天使なのだ。ほんとそう思う。近代になって、食べる心配がとりあえずなくなったら、そんな気持ちも失ってしまったんだろうか。

結局のところ、ミネク少年の木靴が片方壊れたために、父親が道のポプラの木を切って拵えたことがわかって、たちまち一家は追い出されてしまう。夜、馬車に家財道具を積んで僅かな灯りとともに出て行く。残りの家族は家の中からひっそりと見送るのみ。この時も誰も騒いだりしない、というか、声すら出さない。ミネクの泣いた後のような顔が痛々しい。

たぶん新しい時代は、紡績工場やら、新婚の二人が訪ねたミラノでの労働争議(ストライキ)が暗示してると思うけれど、でも、彼らの時代は、ひたすら大地に働きそして祈る生活だった。
音楽が全編通して、オルガンで(バッハ)、それも印象に残る。

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